もう新鮮味がなくなって久しいが、半年ほど前、月刊Hanada2019年10月号が、篠原常一郎さんによる「文在寅に朝鮮労働党秘密党員疑惑」という記事を掲載し、注目を集めたことがある。
この「疑惑」の根拠として、篠原さんが入手して公開したのが「文在寅、朴元淳、李石基らによる金正恩宛『忠誠誓詞文』という文書。
篠原さんは、これは「韓国国内で発表されなかった」とし、月刊Hanadaも、初公開のスクープとして紹介した。
しかし、これは事実に反する。
韓国ではすでに、まったく同じ文書がこの記事の2年以上前、2017年6月にニュースタウンというインターネットメディアで公開された。
そして、それ以降、今も、誰でも見ることができる状態なのだ。
記事のタイトルは「[驚愕]40余りの従北団体、金正恩に6.15忠誠盟誓文」。
この文書は、文在寅らが2014年6月に、2000年6月15日、訪北した金大中大統領が金正日総書記と交わした南北共同宣言の14周年を記念して金正恩将軍に捧げた10カ条の誓いを記したもの。
月刊Hanada2019年10月号に掲載された「忠誠誓詞文の原本」とされるものの写真とニュースタウンのそれとを見比べても、まったく同じものと判断できる。
▲月刊Hanada2019年10月号
▲ニュースタウン
ご覧の通り、書体、組み方、罫線の位置、長さまで、同じだ。
この文書を入手した経緯について、ニュースタウンでは「最近、北朝鮮内部の消息に精通した脱北者団体から、2014年に6·15宣言14周年を期して、韓国内の40の従北団体と個人が”敬愛する金正恩将軍様に謹んで捧げます”というタイトルで作った忠誠誓文を伝えられた」とされている。
月刊Hanadaで、篠原さんは「巡り巡って筆者の許に届けられた」とし、「かつての左派活動家たちのグループ」から「繋いだ人物」を介して入手した、と記している。
どちらも、ソースが非常に曖昧で不確かだ。
さて、この「忠誠誓詞文」なるものは、まず韓国で、ニュースタウンというマイナーなインターネットメディアで公開された。
しかし、韓国の他のメディアでは黙殺され、大した話題にはならなかった。ニュースタウン以外のメディアは、この文書は信じられない、フェイクだと判断して取り上げなかったと考えられる。
そういう他のメディアが無視したこのネタを「驚愕」という煽り文句を頭につけて報じたニュースタウン。動画も配信しており、検索してみたところ、こういうヒットニュースがアップされていた。
タイトルは「[速報]金正恩、死亡説? 北朝鮮が尋常ではない」(2019.05.31 ニュースタウンTV)
https://www.youtube.com/watch?v=u-T-c8gSa7Q
現在(2020年4月3日)、約150万の視聴回数を誇っている。
わざわざ「速報」として、金正恩が死んだかのようなタイトルを付けているが、内容は、特に、どうということはないもの。
ソン・サンユン/ニュースタウンTV会長が、20日ほど北のメディアで動静が報じられていなかった金正恩の去就について「いろいろな可能性を念頭に置いている」とし、「麻薬中毒による病死、中国による暗殺、米軍による斬首刑、崔龍海による暗殺などが考えられる」と語る。(…が、ぜんぶ根拠のない憶測)そして「北の権力内部で対立が高まっている。軍が権力を掌握したなら戦争を起こすおそれがある」と、韓国の視聴者の危機感を煽っている。
ニュースタウンというのは、要するに、そういうレベルのメディアである。
それで、この「忠誠誓詞文」は、このメディアが取り上げはしたが、たいした騒ぎにはならなかったのだが、日本の大手メディア月刊Hanadaが「スクープ」として「初公開」したことで、逆に「お墨付き」を得て、韓国の若いネチズンを中心にちょっとした騒動を生んだ。韓国で、日本の有名月刊誌は、けっこう信頼されているし、日本には朝鮮総連があるので、この種の情報には韓国よりむしろ日本のほうが強いというイメージもある。
韓国の若いネチズンが騒ぎだし、それを見かねた韓国保守派の重鎮ジャーナリスト、趙甲済さんが運営するメディア「チョ・ガプチェ・ドットコム」が、このような記事を書いて、ネチズンに注意を呼びかけた。
<金正恩に忠誠を誓った”韓国の人物リスト”>という文書に関して”注意”を求める!
最近、韓国内のインターネットやSNSなどで「2014年6月15日に金正恩に捧げた忠誠盟誓文と盟誓者リスト公開」というタイトルで急速に広がっている文書がある。 これに関してネチズンたちは「格別に注意しなければならない」という趣旨で以下の文を残す。
問題となっている記事は、日本のジャーナリストで元共産党員である篠原常一郎が、日本の雑誌Hanada2019年10月号に寄稿した文。
日本と米国のマスコミの報道を少なからず取り上げる筆者にも問題の記事と関連して最近、多数の読者からの情報提供があったが、出処が不明な関係で記事を紹介しなかった。
記事の内容を見ると、いかにも、もっともらしい。 具体的な内容を紹介すると、金正恩に忠誠を誓った韓国内の親北朝鮮活動家約40人のリストとともに団体名が登場する。 さらに彼らとともに「5万人の南朝鮮革命戦士たち」が北に忠誠を誓うことになっている。
出所が分からない問題の文書を報じたのは、日本のマスコミが初めてではない。 2017年6月14日、韓国のAインターネットメディア(ニュースタウンのこと)が「40余りの従北団体、金正恩に6·15忠誠を盟誓」というタイトルで同じ内容の記事を掲載した。
(略)
問題は、記事に紹介された文書の出所が不明で、心証はあるが物証がないこと。しかし、記事のタイトルと内容が与える「衝撃」によって、義侠心と愛国心に燃えるネチズンが、後先考えず、インターネットで広めている。
万一、文書で名を挙げられた人物が「事実関係をはっきりさせよう」と記事を拡散させたネチズンを相手に集団告訴告発をした場合を想定してみよう。
法廷では心証ではなく、物証を提示しなければならないが、告訴告発を受けたネチズンの場合、物証は日本のマスコミの記事ひとつだけだ。
結局、負ける側は当初記事を作成したA社や日本のマスコミではなく、記事を広めた罪のないネチズンたちになる可能性が濃厚だ。
(略)
インターネットなどを通じた場合、さらに重く処罰される。 大半が生活者(一般人のこと)である保守性向のネチズンの場合、かつての左翼のように専門的な「公判闘争」戦術の教育を受けたこともなく、告訴告発されると非常に困難なことになるケースをたくさん見てきた 今回の事案も格別に注意しなければならない。
月刊Hanadaのような立派な言論誌の記事に対して、韓国内で、このような注意喚起を促さなければならない事態になったことは実に情けなく、由々しきことだ。
★山本光一の著書「中国に呑み込まれていく韓国」もぜひご一読ください!
さて、この文書で注目されたのは、金正恩宛の「忠誠盟誓文」の内容とともに、あるいはそれ以上に、盟誓者リストのほう。
ニュースタウンは、具体的な人物や団体の名は公開せず、 ただ「リ00、リム00、パク00などの個人と、チンXX、チャム00のような団体など、陰語形態の仮名や略称による40のリストと『以下5万の南朝鮮革命戦士』という言葉が添付されている」と記すにとどめた。
しかし、月刊Hanadaはもっとずっと踏み込んで、文在寅、朴元淳、李石基…と、漢字で実名を挙げ、「推定される肩書」として、たとえば文在寅の場合は「大統領」と明記している。
ただ、ハングルとアルファベットの表記ではごくわずかに本名と異なる綴りになっている。
たとえば文在寅の場合、
「문재인 → 문재임」
「Mun Jaein → Mun Jaeim」
このような操作をした理由を、篠原さんは「国家保安法による取り締まり対策で、万一、この文書が流出した場合でも最低限の言い逃れができるように、それぞれの名前のハングルの綴りを実名とは微妙に変えている」としているのだが、これがニュースタウンのいう「陰語形態の仮名」なのかどうか…。
いずれにせよ、もしこれが金正恩に捧げる公式文書だとしたら、厳粛な誓いの言葉に付す名前の綴りを変えるなどという無礼なことをするわけがないし、これを北の国家機関が受領したなら、外部に漏れる可能性も限りなくゼロに近い。
もし実際に、この文書を文在寅らが作って、それが漏れたとするならば、韓国内で、作成に参加した個人や団体から(原本のコピーが流出したり)だろうが、そういう可能性も、まず考えられない。(また、原本ではなく写本だと、信頼性はほとんどなくなる)
ちょっと考えてみよう。あなたが文在寅の立場だとして、こんな文書を作成するだろうか? 自分ひとり、あるいはごく近い2、3人の同志だけでならばともかく、40もの、左派、従北ではあっても、それぞれ考え方も背景も異なる、よく知らない人たちと、こんな文書を作って署名するだろうか? 発覚したら、一網打尽になるのに…。
篠原さんは、この文書の真贋を見極めるのに「脱北者たち」の識見に頼ったようだ。
脱北者たちは一致して「この『誓詞文』は本物だ」「北の言葉づかいではなく南特有の言葉づかいで書かれているのも本物の証」と述べていた。
しかし、何人かの脱北者が「本物だ」と言ったところで、それだけでは本物と判断することはできない。やはり、本物ということを裏付ける何か「物証」がないと。
「北の言葉づかいではなく南特有の言葉づかいで書かれているのも本物の証」というのには笑ってしまった。南の人間たちが作ったのだから、南の言葉づかいで書かれているのは当然。なんで、それが「本物の証」になるのだ?
篠原さんは「韓国で政治に明るい人が見れば、さもあらんというような個人と団体ばかりだ」と記しているが、これはその通り。実際に、文在寅らは北の労働党の秘密党員みたいなもので、北の指示を受けて、いろいろなことを南でやってきたのかもしれない。
しかし、そのことと、この「忠誠誓詞文」が本物かは、まったく別の問題だ。
それで、韓国では、ニュースタウン以外のメディアは一切、これを取り上げなかった。
しかし、それからだいぶたって、突然、日本の月刊Hanadaが取り上げた。朝鮮半島情勢についてはど素人の篠原常一郎さんが「繋いだ人物」にひっかけられてしまったのだ。
「繋いだ人物」はニュースタウンで掲載されていること、韓国で、ニュースタウン以外のメディアでは見向きもされなかったことをよく知っていたはずだ。
月刊Hanadaも、掲載を決める前に、韓国人のアルバイトを使って、この「忠誠誓詞文」が韓国メディアで報じられていないか、確かめるくらいの慎重さがあってもよかったのでは、そう思うと、残念だ。
*主張は、正しい情報に基づいたものでなければならない。私は、それを強調したい。これも↓悪しき例だ。インパクトのある好都合なネタであっても、確かな事実でないなら、使ってはならない。
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