自由で豊かなはずの韓国で、幼い息子と餓死した脱北女性の悲劇

投稿者: | 2019年12月30日

今年(2019年)の夏、北朝鮮から逃れてきて韓国で暮らしていた女性が、ソウルで、幼い息子とともに餓死するという衝撃的な出来事があった。

7月31日、ソウル市奉天洞の賃貸アパートでひとり息子(6歳)と亡くなったのは、ハン・ソンオクさん(享年42)。発見当時、冷蔵庫は空っぽで、室内に食べ物はトウガラシ以外、まったくなく、遺体の状態から、死後2カ月ほど経過していたと推定された。●週刊朝鮮

ハンさんは脱北後、どういう暮らしをしてきたのだろうか? 週刊朝鮮の報道を要約して紹介しよう。同誌はハンさんの韓国での暮らしについて、まず、このように意味深長な書き方をしている。

ハンさんは韓国で10年間暮らした。彼女の10年について調べるのは難しくもあり、容易でもある。 難しい理由は、ここ数年、ハンさんと連絡を取り続けてきた知人を探すのが難しいから。 容易な理由は、ハンさんとほぼ同じ人生を歩んできた脱北女性が多いからだ。

以前も今も、脱北者の多数は女性である。今年6月現在、韓国に入国した脱北者は計3万3022人。このうちの72%、2万3786人が女性だ。

脱北女性の多くは中国側に入る。誰の保護も受けられない逃亡者の身分であるため、売買婚や拉致、人身売買、性犯罪の被害にあうケースが多い。中国の公安に見つかると、北朝鮮に送り返される。

周辺の地理や中国語に慣れるまでは、売買婚であっても、中国人の家に隠れていることが得策。幸運な人は、中国人の夫と良好な関係で暮らすこともできる。

しかし、中国人の夫によって、また別の中国人に売られたり、公安に摘発され、北朝鮮に返されることもある。中国のある地域では、脱北女性が妊娠すると、公安が強制的に連れだし、中絶させたりもする。

ハンさんも北朝鮮を脱出した後、中国で朝鮮族の男性と結婚した。 息子を産んで、暮らしていたが、2009年、タイを経て、韓国に入国した。

ハンさんを連れてきたのは、キム・ヨンファ脱北難民人権連合代表(66)彼も北朝鮮咸鏡南道咸興の鉄道局で働いていた1988年に脱北、2002年に韓国籍を取得。2005年から脱北者を韓国に連れてくる活動をしてきた。

2009年に韓国に来たハさんは、まずハナ院で韓国生活に適応するための教育を受けた。当時、韓国人男性と一時、間交際もしたとの証言もある。しかし、ハンさんは中国に残してきた息子を忘れることができなかった。 それで、朝鮮族の夫と息子を韓国に呼び寄せた。

ハンさんが夫を韓国に連れてくると言ったとき、キム・ヨンファ代表は引き止めた。

「中国人男性との結婚生活はうまくいかないケースが多すぎるので止めた。だが、ハンさんは幼い息子が忘れられなかった」(キム・ヨンファ代表)

韓国に来た夫は、慶尚南道統営の造船所に就職した。やがて2人目の子供ができた。夫は「他の男の子ではないか」と疑い、妊娠中のハンさんを常習的に殴打した。ハンさんは次男を産んだ。しかし、この子は病気を持って生まれてきた。 一般的に言う、てんかんだった。

造船業界に不況が訪れた。夫は解雇された。夫は韓国に帰化しようとした。しかし、国籍取得のための審査で落ちた。外国人が韓国国籍を取得するためには、筆記試験と面接審査を通らなければならない。韓国人と結婚している場合、筆記試験は免除される。夫は面接で落ちた。「どうにもならない、中国に戻る」と夫が言い出し、一家は、中国に戻ることにした。

2度目の中国生活がどんなものだったかは不明。昨年(2018年)9月、ハンさんは夫と離婚し、病気の次男を連れて、また韓国に戻ってきた。

次男はひと時もじっとしていられず、大声を出すなどし、痙攣や発作もひどかった。子供を預ける所がなく、ハンさんは働き口を見つけることができなかった。

児童手当10万ウォン(約1万円)と養育手当て10万ウォンの計20万ウォンで、ハンさん母子は生きなければならなかった。ちなみに、韓国の物価はもう日本とほぼ同レベル。

韓国でハンさんが頼れる人は一人、自分を中国から救出してくれたキム・ヨンファ代表だけだった。

昨年末、キム代表は生活苦に陥ったハンさんの状況を冠岳区役所の福祉担当者に電話で伝え、相談した。しかし、この時、担当者との相談はうまく行かず、怒声が飛び交い、冠岳区役所の職員はキム代表に「私を脅迫するのか、通話内容を録音する」とまで言い、結局、ハンさんへの支援は引き出せず、交渉は成果なく終わった。(キム・ヨンファ代表の説明)

キム代表は「この時から、ハンさんは韓国社会に諦め始めたようだ」と言う。

「私が中国で脱北者を救出する仕事をしているので、脱北者は私には力があると思っている。 しかし、私が区役所に電話しても、支援してもらえないのを見て絶望したようだ」(キム・ヨンファ代表)

週刊朝鮮が冠岳区役所に確認したとことでは、区の記録によると、ハンさんは昨年12月、奉天洞住民センターを訪れ、児童手当を受け取る口座を変更している。キム・ヨンファ代表が冠岳区役所福祉政策課や生活福祉課の職員と電話で話したかどうかは確認できなかったとのこと。

年が明けて、ことし1月、ハンさんは再び住民センターを訪れ、協議離婚の関連書類を提出した。協議離婚書類を提出したのは「基礎生活受給(生活保護)を受けるためには、夫と離婚したという証拠が必要だ」との説明を住民センターから受けたから。

しかし、週刊朝鮮の記事の表現を直訳すると「ハンさんは具体的な基礎生活受給者の申請方法は教えてもらえなかった」という。つまり、この時点で、住民センターではハンさんに基礎生活需給をさせる気はなかった、あるいは乏しかったということ。

今年2月に、最後の養育手当10万ウォン(約1万円)がハンさんの通帳に振り込まれた。次男は3月に満6歳となった。養育手当は子供が満6歳の誕生日を迎える月の前月までだった。3月から養育手当はなくなり、ハンさんは児童手当の10万ウォンだけで暮らさなければならなくなった。

冠岳区役所によると、今年4月、福祉担当者がハンさんの家を一度訪問した。が、ドアは閉まったままで開かなかった。 5月、ハンさんは銀行を訪れ、最後に口座に残った全額3838ウォン(約350円)を引き出した。

7月31日、ハンさんが住んでいた賃貸アパートで漏水事故があり、水道関係者が訪問した。ドアは閉め切られていたが、家の中から匂いがした。彼の通報で、母子は発見された。

今年7月、ソウルでは、最高気温が30度を超えた日が15日あった。警察は2カ月前の5月頃にハンさん母子は亡くなったと推定した。

これが母子が餓死するに至った経緯である。

さて、北朝鮮から韓国に逃れてきた人は、まず、韓国社会に適応できるよう、統一省傘下のハナ院(北韓離脱住民定着支援事務所)で12週間の基礎教育を受ける。

その後は、居住する自治体から住宅や雇用などの支援を受ける。現行法では、脱北者は入国から5年間、保護の対象となる。政府と警察は、ハンさんの場合、定住開始が2009年で、保護期間の5年間が終了していたため連絡が取れなかったとしている。

だが、脱北者の擁護団体などは、ハンさん母子が亡くなった責任は政府にあると主張している。政府は数年前から、脱北者を不当に扱っているという批判の声が強くなっている。

最後に、ハンさんを韓国に連れてきたのは、キム・ヨンファ脱北難民人権連合代表に関する残念な話をひとつ。

彼は、2016年1月、元総務の女性とともにハナ財団が支給した脱北者支援金1億3500万ウォン(約1300万円)を横領した容疑で警察に立件された。

2012年から2014年まで、脱北者の緊急救護事業「女性の憩いの場」の事業の名目で支給された補助金の一部を横領した疑いがあり(結局、この「女性の憩いの場」なる施設は造られず、計画倒れに終わった)、それから、地方自治体に登録せず、無断で寄付金2億3000万ウォンを集めた疑いもあった。

そして2017年4月、ソウル北部地検により、詐欺と寄付金品の募集および使用に関する法違反容疑で起訴された。

文在寅政権がスタートしたのは起訴の翌月、つまり2017年5月の10日、北出身の文在寅の政権の下で、脱北者に対する政府の姿勢がきわめて冷酷になってきており、それを懸念する声が高まっている。

ハンさん母子が亡くなったあと、すでにこのブログでも紹介したが、漁船で脱北して韓国にやってきた青年2人が殺人犯として北に送り返されたケースも明らかになって、世間を震撼させた。

■脱北の夢破れ… 大量殺人犯として北に送り返された北朝鮮漁民(1)

■脱北の夢破れ… 大量殺人犯として北に送り返された北朝鮮漁民(2)

文在寅は人権弁護士出身と言われているのだが…。


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